「春はゆく」という名のエピローグ

 

「春はゆく」に込められた桜の想いと2人の未来

 

Fateシリーズのネタバレ注意

 

 

 

 

2021年 3月 31日、満を持してFate/stay night [Heaven’s Feel]」Ⅲ.spring song

blu-rayが発売されましたね。おめでとうございます。

 

Heaven's Feelと切っても切り離せないのがAimerの「春はゆく」ですよね。

www.youtube.com

 

 

 

映画内容を踏襲した歌詞構成になっているのですが、Fate/stay night目線の歌詞考察を行っている記事が少ないため、少し執筆してみようかと思います。

 

 

      1.それでも手を取って 隣に佇んで
         初めて抱きしめた、かたち
         欲張って悲しみを抱えすぎていたから
         幸せは何処にも もう持ちきれなくて
       2.花びらを散らした風が 扉を開いて
          変わる季節


       3.しんしんと降り積もる 時の中
         よろこびも くるしみも ひとしく
         二人の手のひらで溶けて行く
         微笑みも贖いも あなたの側で


      4.消え去ってゆくことも ひとりではできなくて
        弱虫で身勝手な、わたし 
        償えない影を背負って
        約束の場所は 花の盛り


     5.罪も愛も顧みず春は逝く
        輝きはただ空に眩しく
        私を許さないでいてくれる
        壊れたい、生まれたい



    6.あなたの側で
       笑うよ
       せめて側にいる 大事な人たちに
       いつもわたしは
       幸せでいると
       優しい夢を届けて


   7.あなたの側にいる
      あなたを愛している 
      あなたとここにいる
      あなたの側に


   8.その日々は
     夢のように 

 

春はゆくで重要なのは頭の中に季節の情景を思い浮かべながら聴くことだと考えています。

具体的には、1~3は冬の曇天、雪が降りしきるうす暗い情景

4は季節の変わり目で暖かくなり始める頃、そして5~8はお花見のシーンを思い浮かべることができるかと思われます。

 

 

まずは冬の曇天です。

 

f:id:wbox00:20210405040236p:plain

 

 

 

 

 

 

    それでも手を取って 隣に佇んで
         初めて抱きしめた、かたち

 

ここは桜というより士郎の心情を表しているのではないかと思います。

 

Fate/stay night [Unlimited Blade Works] において、衛宮士郎にとって「正義の味方」になるという願望の意味、想いを徹底的に描いておきながら、

Heaven's Feelにおいては正義の味方を捨て、桜の味方となりました。

(筆者は既にしんどい)

 

多くの罪を犯した桜を裁くのではなく、手を取り隣に佇み、初めて抱きしめた(正義の味方以外の生き方を選んだ)という士郎の選択を綴っているように見えます。

 

 

 

 

 

 

         欲張って悲しみを抱えすぎていたから
         幸せは何処にも もう持ちきれなくて

 

打って変わって、ここから桜の心情を表しています。

士郎が手を取ってくれた(最後まで間桐桜を諦めなかった)という事実を前にしても、桜はその幸福をどう受け取ればいいのかわからなかったのです。

 

 

 

 

     花びらを散らした風が 扉を開いて
          変わる季節

 

ここにおける「扉」とは桜の心じゃないかなぁと思っています。

士郎から送られる幸福を受け取る覚悟を決め、二人で歩むことを決めたことを示しています。

 

 

 

 

 

    しんしんと降り積もる 時の中
         よろこびも くるしみも ひとしく
         二人の手のひらで溶けて行く
         微笑みも贖いも あなたの側で

 

二人の手のひらで溶けて行くというのは

 

今まで暴力と絶望に浸ることで目を逸らし、押し固めて凍らせていた自らの行いと現実に向き合い始めたことを示唆しているものであると考えられます。

 

 

 

さて、4番以降の歌詞なのですが、ここからは桜の独白に近いものなんじゃないかなと考えています。

 

 

 

 

 

 

   消え去ってゆくことも ひとりではできなくて
        弱虫で身勝手な、わたし 

        償えない影を背負って
        約束の場所は 花の盛り

 

 

原因はともあれ、結果として桜は数十人以上の罪のない人々を殺してしまいました。

決して償うことのできない影(罪)を背負いながらも、「奪った責任」を果たすため、罪の意識に潰されることも、暴力に溺れることもやめ、前を向いて桜は生き続けます。

その象徴が「花の盛り」です。

そう、「いつか冬が過ぎて、新しい春になったら....二人で、桜を見に行こう」

 

 

 

さて、ここまでは冬の曇天の情景でした。暗く、静かに雪が降りしきる景色が続いていましたが、長かった冬が明け、太陽(希望)が空に優しく輝く春が訪れました

この先は是非ともラストのお花見シーンを思い浮かべながら歌詞を読んでみてください。

 

 

 

 

 

f:id:wbox00:20210405035747j:plain

 

 

 

 

 

        罪も愛も顧みず春は逝く
        輝きはただ空に眩しく
        私を許さないでいてくれる
        壊れたい、生まれたい

 

桜の罪も、士郎の愛も顧みることなく、春は過ぎて行きます。

二人の間にどのような罪があろうと、時間は留まることを知らず、粛々と過ぎて行きます

今まで絶望を拠り所(冬)として生きてきた桜に希望(春)が訪れました。

桜にとっての希望=衛宮士郎が自分を許さないでいてくれる(叱ってくれる)事こそが、桜にとっての幸福だったわけですね。

壊れたい、生まれたいという歌詞は新しい自分への変化を示しているのかなと思います。

 

 

 

 

 

  

       あなたの側で
       笑うよ
       せめて側にいる 大事な人たちに
       いつもわたしは
       幸せでいると
       優しい夢を届けて

 

桜が犯した罪は無かったことに(償うこと)はできません。

それでも責任を果たすため、桜は生き続けます。

もちろん桜は幸せになることを目指して生き続けますが、償えない罪を背負って生き続けること、それが桜にとって本当に幸せなことなのかどうか、それは誰にも分りません。

しかし、それが仮初めの幸せだったとしても、それが仮に儚く、風が吹けば壊れてしまう淡い夢であったとしてもせめて側にいる大切な人たちだけには「幸せでいる」と、そう言えるように生きていくのが「責任」なのかなぁと、そう思います。

 

 

 

 

   あなたの側にいる
      あなたを愛している 
      あなたとここにいる
      あなたの側に

ここは桜が士郎共に生きることを決め、ある種の誓いを立てているのだと思います。

 

 

そして最後、

     その日々は
     夢のように

この「夢のように」という歌詞、この「夢」には2つの意味があるなと思っています。

 

一つとしては「夢を叶えた」という理想という意味合いでの夢です。

これはハッピーエンドっぽくてとても良いですね。

 

 

もう一つの意味としては壊れやすい「水泡」に近い意味での夢です。

Heaven's Feelは桜を救い、麻婆は死に絶え、士郎が生還し、凛もライダーも生きていてハッピーエンド!やったー!!これで万事解決じゃ!

と、思われがちですが、本当にそうでしょうか。

 

 

f:id:wbox00:20210405043542j:plain

 

扉を開いた先、一面に咲いた桜に目を奪われますが、その先には激しい雷雨が待ち受けています。

 

確かに物語としてはハッピーエンドです。

しかし、桜と士郎の人生はここで終わりではありません。

二人の未来には数えきれない困難が待ち受けていると思うんですよね。

 

多くの人を殺害した桜、それを知りながら桜の味方を続ける衛宮士郎

 

 

罪を犯した報いはいつか必ず訪れます。

その報いも、訪れる困難も二人で受け止め、共に歩くという覚悟を示しているのが、

このキービジュアルであり、触れば弾けてしまう、水泡のように淡い二人の人生を示唆する歌詞が「その日々は夢のように」なんじゃないかなあと、僕はそう考えています。